■■『抄物を読む』と黄氏口義研究会■■
大槻 信
『抄物を読む――『黄氏口義』提要と注釈――』が刊行された。本書は、編者名から明らかなように、「黄氏口義研究会」という研究会が母胎となっている。以下では、本書とその研究会について紹介したい。 |
■■『黄氏口義』の「偏差値」■■
緑川英樹
抄物は従来、室町時代の話しことばを反映した言語資料として、主に国語学・日本語学の分野で精力的に研究が進められてきた。近年、抄物を利用した五山禅林の文学や思想の研究も徐々にあらわれているが、わたしのような中国文学専門の人間からすると、やはりあまり馴染みがないという向きが多数を占めるであろう。とはいえ、抄物は漢籍や仏典に関する注釈書・講義録であり、その内容は中国畑の研究者・学生にとってもすこぶる興味深いはずである。五山禅林における中国文学受容というような日本漢学的な研究はもちろんのこと、抄物から得られた知見を現在の中国文学研究にフィードバックし、新たな作品解釈の可能性を切り拓くこともあるかもしれない。 |
■■『抄物を読む』楽屋裏■■
蔦 清行
『抄物を読む』の原稿を入稿し、初校ができあがってくるころ、健康診断で胸部レントゲン写真に所見があり、精密検査を受けることになった。改めてCTスキャンを撮ったところ、どうも肺にできものがあるらしい。肺のできものと言えば肺ガンがまず疑われる。さらなる詳細な検査が必要になった。しかし受けてみて初めて知ったのだが、この検査がそんなにすぐは行えない。まず予約が取れるのが一週間先、結果が分かるのがさらに二週間先、というような調子である。この間、私にできることは特段何もない。だから泰然として普段通りの日常を送って……いると格好いいのだが、あいにく私は煩悩の塊であった。食事は喉を通らず、輾転として眠れぬ夜が続いた。そんなとき、臨川書店から初校のゲラが届いた。これは本当にありがたかった。というのは、校正紙に向き合っている間は、目前の不安と恐怖を忘れることができたからである。調べなくてはならないことは尽きず出てきたし、検討しなくてはならないことは終わりがなかった。 |
■■難解なる『黄氏口義』■■
山中延之
本書『抄物を読む―『黄氏口義』提要と注釈―』の「まえがき」(大槻信先生執筆)に書かれているように、『黄氏口義』は難しい。同じく本書の「序文」(木田章義先生執筆)に述べられているように、木田先生の演習の授業で講読した『黄氏口義』は難しかった。とてもわかった気がしなかった。今も半分以上わからないような感覚だが、当時はもっと読めなかった。本書が生まれるとは、授業を受けていた時には想像だにしなかった。私自身の理解力のなさを棚に上げて言うのだが、われわれの『黄氏口義』研究会でも毎度のように問題点を未解決のままにして先へ進んでいる。たとえば巻一の「平陰張澄居士隠処三詩」のうち「仁亭」という詩の注釈に次の一文があった。 |