■■『抄物を読む』と黄氏口義研究会■■
大槻 信

 『抄物を読む――『黄氏口義』提要と注釈――』が刊行された。本書は、編者名から明らかなように、「黄氏口義研究会」という研究会が母胎となっている。以下では、本書とその研究会について紹介したい。

●研究会の前史
 まずは研究会の前史について簡単に説明する。
 この研究会は木田章義先生、大谷雅夫先生お二人の科研(科学研究費補助金による研究)がきっかけになっている。
 木田先生が「抄物と中世文化」(2004-2006年度)、「抄物を通して見た中世文化の基盤」(2007-2009年度)のような科研をとり、当時の大学院生などに呼びかけて建仁寺両足院の調査に着手された。同時期に、授業でも両足院の抄物を取り上げられることがあった。そのあたりの事情については、木田先生が書かれた本書の「序文」に詳しい。
 その後、大谷先生代表で科研「中世近世国文学における中国文学受容の研究 ―和漢聯句と抄物を中心として―」(2012-2016年度)をとり、その研究分担者で抄物を読む研究会が立ち上がった。そこで読むことになったのが両足院蔵の『黄氏口義』である。

●黄氏口義研究会
 大槻が研究会を主催するようになったのはたまたまである。木田先生、大谷先生が続いて定年を迎えられたので、その後は京大に籍を置いている大槻を代表にしておけば何かと便利だろうというだけの理由である。
 私は抄物について素人である。しかし、そのため、初心者の立場が理解でき、研究会の全体をすこし客観的に見ることができるという便宜があったと思っている。平素の研究会でも、進行役をつとめながら、素人質問ができる気楽さを楽しんでいる。
 私が心がけたのは、この研究会を軌道に乗せ、安定させることだった。そのために、以下を目標とした。

1. 研究会を定期化すること。参加者を増やすこと。
2. 科研費をとること。
3. 研究会の成果を公刊すること。

 初期の研究会は、不定期開催になることがあった。また、場所も固定しておらず、参加者は科研の分担者プラスアルファといった状態でごく少なかった。そのため、同一の発表者が担当を繰り返す状態になっていた。レジュメもはなはだ簡略なもので、口頭で説明されるところが多く、知識・情報が蓄積されない傾向があった。
 そこで、研究会を毎月同じ場所で開催するように定期化し、大学院生など若手を中心に参加者を増やすよう努めた。レジュメに掲載される情報を増やし、担当が終わるとその最終版を提出してもらうようにした。それらのレジュメや資料をクラウド上で共有する仕組みも作った。
 また、研究会を軌道に乗せるために、科研をとることを考えた。大槻を代表として「抄物の文献学的研究」(2018-2022年度)をとり、続けて、蔦清行さん代表で「文化史資料としての抄物の研究」(2023-2027年度)をとった。
 近年、抄物を含んだ「一次資料」を用いて研究を行う研究者、特に若手の研究者が少なくなっている。資料を手にする、資料を読み解くというノウハウが失われつつあるのである。その点に強い危機感を抱いていた我々は、研究会の成果を公刊するのが良いと考えた。そのために、公開促進費(学術図書)を申請して、採択された。その助成によって刊行されたのが本書である。
 抄物を多くの研究者、とりわけ若手研究者に開かれたものとしたいというのが本書の目的である。本書によって、抄物の利用と研究が大いに進展することを期待している。

●開催方式
 さて、研究会は毎月一度、だいたい第二土曜日の午後に開催している。はじめは京大文学部の会議室を借りてやっていた。2020年以降はオンラインのZoom上で行っている。参加者は二十名程度。全国から参加がある。レジュメや資料などは、上にも書いたが、研究会のクラウド上に置いて、共有・蓄積できるようにしている。

●担当
 担当は基本的に漢詩一篇分の抄文である。一回の研究会で、原本の一丁半(洋装本の3頁にあたる)ほど読むことを目標にしているが、しばしば半丁ほどで終わる。前回の補足だけで時間のほとんどが終わったという回もあった。ゆっくり、じっくり読み進めている。
 そんなわけで、一度の担当は数ヶ月から半年に及ぶことになる。なかなかたいへんだが、担当してはじめて分かることが非常に多い。担当してみないと、他の人の発表を聞いても、何をやっているのか理解することが難しいと思う。人間は自分で実際に経験してみないとあまり学ばないものらしい。
 発表はひとりの担当者が行うのが基本だが、複数で担当することもある。国文系の人と中文系の人で組んで発表してもらうと、お互いに教え合えて、なかなか良い。発表はできるだけ若い人に担当してもらうよう心がけている。抄物をさわれる人が、今後増えていってほしいと考えているからだ。

●蓄積 提要
 研究会を長く続けていて良いのは、しだいに路が整備されていくことである。経験やレジュメが蓄積されていくので、前の人のレジュメを見れば、だいたい何をどのように調べれば良いのか、当たりがつくようになってきている。
 加えて、「『黄氏口義』提要」の存在が大きい。提要は、本書でも前半(第一部)を占めているが、そもそもは、研究会の内部資料として、はじめて発表担当する人が困らないように、大学の演習におけるイントロダクションを詳しくしたようなものを目指して作ったものである。これだけ見れば、抄物や『黄氏口義』について必要な知識がひとまず得られるような、基本情報をまとめたものを意図している。

●発表準備
 『黄氏口義』は、カナ抄と漢文抄とを混ぜ合わせて作られている。発表の準備は、『黄氏口義』の抄文を読んで、同じ山谷抄である陽明文庫蔵『黄烏鉢抄(こううはちしょう)』や両足院蔵『山谷幻雲(げんうん)抄』などと比較することから始まる。山谷詩に対する抄物には、カナ抄を中心とする「一韓(いっかん)抄系統」と、漢文抄を中心とする「月舟(げっしゅう)抄系統」とがある。『黄氏口義』は諸抄を集成しており、両系統を取り合わせているのである。
 この比較を通して、抄物がどうやって作られているのかを疑似体験できる。『黄氏口義』だけではよく読めなかったところが、材料の方を見ることで読めることもしばしばある。
(本書の翻刻では、「一韓抄系統」による部分には破線、「月舟抄系統」による部分には実線を加えるという形で、来源の別を明示し、本書の編纂・生成の過程を浮き彫りにしようと努めた。)

●注釈
 そのあと、出典調べやコトバ・表現に関する調査を行い、注を付けていく。どこを調べ、どんな注釈を付けるのかにも、発表者の個性が出て面白い。(本書における注釈は記名式にしてある。注釈者各人の個性が色濃く出ていると思う。)
 抄物は注釈書である。注釈についての注釈をやっているわけで、話しがややこしいが、注釈者・抄者が原典と向き合い、何とか解釈しようとしたその営みを、現代においてもう一度やり直してみていることになる。
 『黄氏口義』の中で展開されている議論は、現在の目から見て、なるほどなと思うこともあれば、ほんまかいなと思うこともある。しかし、調査のやり方も、議論のやり方も、総じて現在の研究者がやっていることとあまり変らない。索引も電子テキストもない時代に、あれだけの出典を指摘しているのは、驚異的である。展開される議論のレベルも、現在と同等かそれ以上だと感じることが多い。

●研究会での議論
 発表を聞きながら、参加者から質問や意見が色んな方向からたくさん出る。分からないことがあると、参加者の中で専門の近い人に教えを請う。なにがしかヒントが得られることが多い。また、ふとした細部がきっかけになって、その分野に詳しい人の講義がひとしきり行われたり、参加者同士の間で喧喧囂囂の議論が始まることもある。
 研究会は、参加者の多彩な顔ぶれと個性に大きく助けられているのである。
 コロナ禍の影響で、研究会は途中からZoomでのオンライン開催になった。Zoomになって、画面共有ができるため、みんなで資料を拡大して眺めたり、誰かが見つけた情報を共有することがやりやすくなった。ちょっとした質問・指摘などは、Zoom上のチャットでやりとりしている。
 遠隔参加者も多いので、しばらくはオンラインでの研究会が続くことになりそうである。
 研究会は二時間をめどにしているが、三時間近く続くことが多い。正直、開催者側はくたびれるが、毎回何かしら議論が盛り上がるところがあって面白い。いろいろ議論した挙句、結論が出ないこともままあるが、それもまた楽しい。

●重い入門書
 以上のような研究会を経たおかげで、本書はきわめて中身が濃く、注の多い大冊となった。「入門書にしては重い」という点は自覚している。とくに後半の第二部では、著名な詩を中心に選んだため、ボリュームのある詩と抄文とが続き、とにかく注が多い。
 注の中身は典拠、人物、内容、コトバ、表現、校異など様々である。抄物を日本語の歴史資料として利用したい人にとっては、あまり関係のない注が多いと見えるだろう。
 しかし、コトバと内容とは不可分の関係にある。両者は深く結びあっており、内容を理解しないと資料は使えない、というのが我々の言いたかったところである。ただ、これだけ注が多いと、注を全部読むのは、ひょっとすると校正にあたる我々だけなのではないか、との不安がよぎったのもたしかである。
 そもそも、取り扱っている『黄氏口義』自体が、抄物の中ではかなりレベルが高く、難しいものである。本書はその高峯に、チームで挑んでみた結果である。本書によって、その高さが減じることはないとしても、そこへいたる道のりが、ある程度整備されたものになれば良いと思う。

●本書の使用法
 本書の使用法としては、まず第一部の提要を読んでいただきたい。この部分が抄物入門にあたる。
 続いての第二部では、手始めに、一つの詩をじっくり読んでみることをおすすめする。抄文を自分で翻字し、調べ、考えながら、しっかり読んでみていただきたい。自分が発表担当するつもりで読むのが一番良いと思う。その際、影印部分と抄文部分をコピーにとり、影印・抄文・注釈の三者を相互に見合わせながら読み進めてもらえると、得るところが大きいと思う。
 その作業を通して、抄文や注の中に、先に同じ作業をやってみた者(我々のみならず、任淵(じんえん)や万里集九(ばんりしゅうきゅう(く))、一韓智翃(いっかんちこう)、月舟寿桂(げっしゅうじゅけい)、林宗二(りんそうじ)などを含む)の苦心と喜びの跡が見出せるはずである。それが終わる頃には、なぜ注がこれほどたくさんぶらさがっているのか、また、抄物の何が面白くて、何が難しいのかが、身に沁みて分かってくることと思う。

●研究会の現在
 黄氏口義研究会は、昨年(2023年)2月に第百回をむかえ、現在も継続中である。2012年に始め、十年かかって、全二十巻のうち、巻一を読み終わったところである。(現在は、いったん「序」に戻って、序文を読み進めている。)これからの道のりは長そうだが、気負わず、ぼちぼち続けていきたいと考えている。

                                         2024年3月7日

○研究会連絡先
 黄氏口義研究会に参加してみたいという方は以下にご連絡ください。詳しい案内をお送りします。
  黄氏口義研究会メールアドレス [email protected]






■■『黄氏口義』の「偏差値」■■
緑川英樹

 抄物は従来、室町時代の話しことばを反映した言語資料として、主に国語学・日本語学の分野で精力的に研究が進められてきた。近年、抄物を利用した五山禅林の文学や思想の研究も徐々にあらわれているが、わたしのような中国文学専門の人間からすると、やはりあまり馴染みがないという向きが多数を占めるであろう。とはいえ、抄物は漢籍や仏典に関する注釈書・講義録であり、その内容は中国畑の研究者・学生にとってもすこぶる興味深いはずである。五山禅林における中国文学受容というような日本漢学的な研究はもちろんのこと、抄物から得られた知見を現在の中国文学研究にフィードバックし、新たな作品解釈の可能性を切り拓くこともあるかもしれない。

 かつて中国文学者の吉川幸次郎は「項羽の垓下歌について」(初出1954年)という論文において、五山僧の桃源瑞仙『史記抄』が引く『史記』の古本に「垓下歌」の「威勢廃兮騅不逝」という佚句が存在することを指摘し、当時の学界を驚嘆させたことがある。それから約四十年後、吉川の弟子である尾崎雄二郎は、新日本古典文学大系『中華若木詩抄 湯山聯句鈔』(岩波書店、1995年)の解説に「抄物で見る日本漢学の偏差値」と題する文章を草し、「この二つの資料からは、古典に新しい異文を提供して中国の学界に向かってもその検討を要求することができるほどの、上に見たようなそんな知見(引用者注:「垓下歌」の佚句発見を指す)は、わたくしには獲られなかった」と述べた。尾崎はつづく箇所で『中華若木詩抄』と『湯山聯句鈔』の解釈の問題に触れるのみで、必ずしも明言はしなかったけれども、どうやらこの二つの抄物を通して見た日本漢学の「偏差値」、すなわち学術的な水準をさほど高く評価していないようである。果たして本当にそうなのだろうか?他の抄物の場合も同様なのだろうか?

 本書は、黄山谷(黄庭堅)の詩集の抄物『黄氏口義』を対象にして、室町時代の五山僧たちが山谷の詩をどのように解釈したのか、その具体的な実践例を示したものである。特に第二部の翻刻注釈には、紙幅の都合で五首の詩しか取り上げられなかったが、国語学・国文学のみならず、中国文学・中国哲学・仏教学など多分野の衆知が詳細な注釈のなかに(過剰なまでに?)盛りこまれている。読者諸賢におかれては、ぜひ第一部の提要と合わせて通覧し、『黄氏口義』の「偏差値」がどれほどの高さか自身の眼で判定していただければ幸いである。






■■『抄物を読む』楽屋裏■■
蔦 清行

 『抄物を読む』の原稿を入稿し、初校ができあがってくるころ、健康診断で胸部レントゲン写真に所見があり、精密検査を受けることになった。改めてCTスキャンを撮ったところ、どうも肺にできものがあるらしい。肺のできものと言えば肺ガンがまず疑われる。さらなる詳細な検査が必要になった。しかし受けてみて初めて知ったのだが、この検査がそんなにすぐは行えない。まず予約が取れるのが一週間先、結果が分かるのがさらに二週間先、というような調子である。この間、私にできることは特段何もない。だから泰然として普段通りの日常を送って……いると格好いいのだが、あいにく私は煩悩の塊であった。食事は喉を通らず、輾転として眠れぬ夜が続いた。そんなとき、臨川書店から初校のゲラが届いた。これは本当にありがたかった。というのは、校正紙に向き合っている間は、目前の不安と恐怖を忘れることができたからである。調べなくてはならないことは尽きず出てきたし、検討しなくてはならないことは終わりがなかった。

 永禄十年九月十日、『黄氏口義』巻二十の奥書に、抄者林宗二は、当夜の合戦で自宅が放火されるのではないかという危惧を記している。そんな戦乱の中で、何を呑気に詩の注釈など写しているのか、という疑問は誰しも持つことであろうし、私自身も以前それを記したことがある。だがこのたびの自分の経験から、なんとなく彼の心中を置き換えて想像するようになった。戦火は自らの力で止められるものではないし、当時のこととて、どこに行っても安全であるところはない。書物に没頭することで、つかの間であれ、ある種の心の安息を得ていたのではないか、と。彼の抄の行間にそれを思わせる記述は何もないのだけれど。

 結局この夜宗二の私宅がどうなったか、その記録は残っていない。しかし写本の残存状況などから考えて、おそらくは無事か、被害があっても軽微なものであっただろう。よかった。一方私の肺のできものも、検査の結果、幸いにして悪性のものではなさそう、ということになった。よかった。『抄物を読む』の、私の担当個所の行間に、当時の私の心の震えが反映しているか、自分では分からない。だが少なくとも私自身は、頁を開くたびにそれをありありと思い出すし、これからも決して忘れることはないだろうと思う。

 宗二は八十四歳で世を去った。先の奥書から十四年後。天寿を全うしたと表現して差し支えないであろう。「昨日ヨリ霍乱心ニテ死了、一期五調治根分明也シト云々」(『多聞院日記』天正九年七月十一日条)というから、長く患ったわけではなく、俄に亡くなったらしい。死のおよそ一ヶ月前、六月七日の日付のある『杜抄』の写本が残されている。最後まで学問とともに生きた人であった。






■■難解なる『黄氏口義』■■
山中延之

 本書『抄物を読む―『黄氏口義』提要と注釈―』の「まえがき」(大槻信先生執筆)に書かれているように、『黄氏口義』は難しい。同じく本書の「序文」(木田章義先生執筆)に述べられているように、木田先生の演習の授業で講読した『黄氏口義』は難しかった。とてもわかった気がしなかった。今も半分以上わからないような感覚だが、当時はもっと読めなかった。本書が生まれるとは、授業を受けていた時には想像だにしなかった。私自身の理解力のなさを棚に上げて言うのだが、われわれの『黄氏口義』研究会でも毎度のように問題点を未解決のままにして先へ進んでいる。たとえば巻一の「平陰張澄居士隠処三詩」のうち「仁亭」という詩の注釈に次の一文があった。

「明慧上人ハ、イカナル山ノヲクヨリハ四条ノ橋ホド閑ナル処ハナイ、トヲシナルゾ。」

 鎌倉時代の名僧、栂尾・高山寺の明恵上人に関する話柄だと思われるが、「明恵上人伝記」などを見てもそのような記述は見あたらなかった。ほんとうに明恵上人の事蹟であるという証拠がいまだに発見できていない。ただし、研究会にて『時代別国語大辞典室町時代編』の「隠居所」にそれとよく似た用例のあることが報告された。「真隠ハ鬧市紅塵ニカクルヽゾ。サテコソ栂尾ノ明恵上人ノ云ハレタゾ。四条五条ノ橋上ガヨイ隠居処ト云ハレタゾ」と、同じ抄物である『四河入海』(しがにっかい)(巻九ノ一)にあるという。室町時代には明恵上人の言説として受容されたのであろうか。しかし依然として、山奥より四条の繁華街のほうが閑静である、ということばが明恵上人にさかのぼるか否かは不詳のままである。

 もちろん解決した問題も多い。同じ「三詩」の「復庵」という詩の注釈に付箋が付されていて問題となったが、『周易抄』(しゅうえきしょう)の復卦の一節に合致した。『周易抄』は、文明九年(1477)に柏舟宋趙(はくしゅうそうちょう)が『周易』六十四卦を講義し、横川景三(おうせんけいさん)・景徐周麟(けいじょしゅうりん)が筆録したもので、代表的な抄物資料のひとつである。『黄氏口義』の成書過程を考える上で重要な一例であろう。確かに『黄氏口義』は難しいのであるが、拾い読みで面白く読めるところもある。まだわれわれの研究会では到達していない巻二に「以小龍団及半挺贈無咎并詩用前韻為戯」という詩があり、茶のことが詠まれている(茶の詩はその直前にも、他にもある)。「湯ヲ煎ズルヲトガコロリコロリト鳴ラウゾ」と興味深い音で湯が沸いている。本書を手に取って『黄氏口義』に興味を持たれたかたには是非、われわれの『黄氏口義』研究会にご参加いただきたい(駒澤大学「禅籍目録 電子版」に公開されている『黄氏口義』全丁の画像を参照されてもよいと思う)。研究会の紹介や参加方法は、本メルマガの大槻先生担当の記事をご覧いただきたい。



「抄物を読む」紹介ページ